2011 12月9日 日本廃棄物政策の歩み 濱 真理
真理という名をみて女性の先生かと思っていたら、まさかの男(@_@;)!!大変驚きました。真理と書いて「まこと」というらしいです。
さて本題に入ります。
日本の廃棄物政策の歩み、1800年半ば基本的に、ゴミはリサイクルされ(例:生ごみ→肥料)公的なごみ処理の必要はほとんどなかったようです。
(1868〜1945)明治時代から第二次世界大戦コレラがv大流行、大きな原因の一つは、ごみであり対策として日本で最初の廃棄物対策法ができた。それが1897年伝染病予防法。施行規則で焼却処理を推奨←伝染病対策であった。
(1960年代〜70年代前半)高度成長期以降の日本のごみの増量は甚だしい。この時期から、ごみの処理・処分が困難になった都市がリサイクルのための分別収集や資源収集回収の推進政策を開始する。(ごみ減量推進第1期)70年代後半、ごみの増量傾向はいったん治まるが、80年代の後半から再びごみが急増する。この時期には、処理施設の充実で対応してきた大都市も様々なごみ減量政策を開始している。(ごみ減量推進第2期)そしてこの高度経済成長期にごみの質(組成)が厨芥類の比率が下がり、プラスチック類が増えている。この時期でも、焼却処理中心であり対応は変わっていない。
そして1991年廃棄物処理法改正をし、廃棄物政策の新たな基本方針=ごみ減量・リサイクル 但し、焼却中心スタイルを直ちに捨てたわけではなく、徐々にごみ減量・リサイクルのウエイトが高くなる。改正前は廃棄物の適正な収集・運搬・処分 改正後は、改正前に「排出の抑制」「分別・保管」「再生」を追加。
法整備などがこれ以降もりこまれ、容器包装リサイクル法・家電リサイクル法などが整えられた。
こう見てみるとごみに対して環境のためにどうするかと考えはじめたのは、つい最近のものだと思われる。
2011 12月9日 青少年センター
わたしたちに出来る簡単なエコと言えばエコバックや節電などが思い浮かぶが、それ以外にあまり意識していないエコはないか?ということで考えるため青少年センターを訪れてみた。センターの中は小学生くらいの子が結構入っていた。一階から三階まですべて環境に関するものばかりでインストラクターが子供をあんなにしていた。
本題に戻して、私が考えるにやっぱり単純に考えてreduse.reuseからエコは色々出てくるんじゃないかと思う。まずreduseから考えると、半島に必要なものだけかうことや、使い捨てのものを避けること、物を大切にして、長く使うことが大切ではないかと。身近なことで言うと、買い物の時はマイバックをもつ、そうすればその分レジ袋のごみが出ません。ほかに、水筒を持ち歩いたり、お箸を持ち歩いたり、食材を必要以上買わない、時計など物が壊れたら修理に出す。reuseでは一升ビンやビール瓶などは使った後、ちゃんと店に返せば、ゴミにならず、また洗われ、中身が詰められて、また私たちの元に返ってきます。これらが私たちは身近に実行できることではないでしょううか?
もっと大きなことでいうと、環境に配慮した消費行動をしよう、いわゆるグリーンコンシューマー運動などがあり、この運動が広がれば、必然的に生産者も販売者も環境問題を意識した製品作りや販売形態をとらざるを得なくなる。この運動は欧米では無視できない影響をもちつつある。(キットカットの会社が被害にあった。)
センターに入って色々見て回って思ったんですが、とてもイスが個性的なものが多かった。←言う必要ないことですが(笑
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フィールドワーク 東福寺 2011 11月25日
やっとハテナにアクセスできた!!パスワードを忘れテ日記がこんなにも遅くなってしまった(悲)
稲荷の時のようにのんびり徒歩で行くと思いきや、東福寺に移動が電車とは思わなかった。電車に乗る前に駅で、ドングリの種類はいくつある?と、先生からの出題がありドングリ図鑑(フィールドワーク版)で調べた結果、22種類(^O^)/ 結構、種類あるんだなー。栗がドングリと同じ種ってのが驚き。
そんなこんなで電車に乗り込み、いざ東福寺へ! けれども、人ひと人ひと人ひと(゜_゜>)その結果先生とはぐれる。紅葉シーズンに入りかけだから人が多いこと。
ドングリの結果だけ言うとツブラジイ、ウバメガシ、アラカシ、それと栗のとげとげ発見。ウバメガシの幹は備長炭に使われるそうな。ドングリの見分け方は、帽子、冬芽、葉、木の模様?この四つで大体わかる。
フィールドワーク 伏見稲荷
教室で座って授業をうけているよりも、歩いてフィールドワークをする方が時がたつのが早く楽しい。歩いていると先生が色々と何かを見つけては、私たちにその生物の特徴を教えてくれる。普段回りを意識せずに歩いているけれども、ふと、回りを意識して目を凝らすと様々な動植物にあふれているのだなとわかった。